探索日和

Archive2013年09月 1/1

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緑に包まれる幌内炭鉱の遺構群 - 4

手元の資料には『水洗機跡』となっている遺構の内部。水に浮いたものを石炭・沈んだものをズリという具合に選別するための施設……だったかどうかは詳しいことは知りません。重選機・ローヘッドスクリーン・水洗機など選炭場の遺構は、幌内炭鉱における選炭方式の移り変わりを示している…んだと思います。ちらっと調べただけなので全く自信はありません。立派なシックナー道東の炭鉱跡ではそうそう見られません。こちらは、資料によ...

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釧路湿原の秘境駅

釧路湿原駅1988(昭和63)年7月23日、細岡展望台へアクセスするための臨時駅として開業。1996(平成8)年12月1日、臨時駅から通常の駅となる。周辺にある建物は細岡ビジターズラウンジぐらいで民家は無い。駅周辺には民家が無いので、この辺りの鉄道駅利用はもっぱら遠矢駅か細岡駅だろうから、その中間にある釧路湿原駅までわざわざ来ることは無いのかも知れない。そういう意味では、常設の駅になったとは言え用途は開業当初と同じな...

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緑のホーム、平糸にて

1989(平成元)年に廃止された標津線。(標茶-中標津-根室標津間)その標津線の支線として、中標津と厚床を結ぶ路線がありました。厚床-奥行臼-別海-平糸-春別-協和-中標津。奥行臼は駅舎などが残され別海町有形文化財に。別海はバス乗り場に。平糸は草むらに埋もれて。春別は公園に。協和はバス停留所に。中標津は駐車場?に。それぞれなっているそうです。かつての駅だった場所についてはネットで、古いものでなければ緯度・...

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山の水族館

海に水族館があるのは当たり前、山には淡水魚が居る。山に水族館があってもいいのでは。~をコンセプトに1978年4月29日にオープン、大雪山の麓、北見市留辺蕊町温根湯温泉にある水族館。開館から数年は4~5万人の入館者があったが、隣接するおんねゆ温泉街の衰退と共に客足も遠のき赤字が続くようになる。公立の小さな水族館として健闘したとは言えやがてリニューアルが計画され、開館から33年目の2011年11月6日、一旦閉館する。国...

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湿原に埋もれる廃車両

釧網本線の細岡駅…は改修中だったので、付近に昔からある廃車両の写真を撮りに来てみた。車両を倉庫代わりに使うことは良くあるが、気になるのはこの電線。電線が車両に引き込まれ、電力メーターまである。扉はしっかりと施錠。汚れた窓から内部を窺う。やはり倉庫として使われていたようだが、電力は何のためのもの?電灯?なんだろう?町内会が倉庫として利用していたんじゃないのかな。良くわからないけど埋もれっぷりは見事だ...

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朽ちて行く機関庫

カメラが変わったのでまた来て見たいと思っていた旧機関庫の建物。約一年ぶりの再訪だが、天井がかなり落ちてしまっていた。天井板がぶら下がる光景を見て、危険を感じた。ここはもう立入禁止を明示したほうが良いかも知れない。...

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女満別の掩体壕

海軍第二美幌航空基地・終戦の直前、当時の女満別村よりの誘致で建設された基地・ここでもまた、タコ部屋など強制労働が行われていた・戦後の進駐軍により滑走路は一旦破壊されるが、 のちに米軍の利用のため修理、その後は(旧)女満別空港となる・現在は女満別空港が隣接地にリニューアル移転したため、 跡地はボッシュ社のテストコースとして活用されている・第一基地(美幌町)、第二基地(大空町)、第三基地(小清水町)は現在、 ...

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湧網線という路線がありました

湧網線中湧別駅(紋別郡湧別町)~網走駅(網走市)を繋いでいた鉄道路線。廃止は1987年。オホーツク海沿いにサロマ湖・能取湖を経由する風景は、さぞかし美しかったことでしょう。今回訪問したのは湧網線西側の『佐呂間駅』『知来駅』。今から10数年程昔、仕事で旧常呂町に通っていた時期がありました。当時の私は『網走から続くサイクリングロード』の存在・『卯原内(ウバラナイ)』に鉄道車両があること、くらいは知っていましたが、...

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道の駅 摩周温泉

欧羅巴民藝館(ヨーロッパ民芸館)を改装した建物で、2011年にリニューアルした道の駅。物産コーナー・トイレ・足湯・観光客など、道の駅っぽいところを除いて撮ってみた。...

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上尾幌炭鉱群を訪ねて

上尾幌炭鉱群1917(大正6)年、官設鉄道の釧路~厚岸間開通を機に旭炭鉱・八千代炭鉱が開坑。翌大正7年には後に青葉炭鉱となる尾幌炭鉱の試掘が開始、小さな炭鉱が続々と造られる。昭和に入り、満州事変に始まる戦争の拡大によって、軍需産業は刺激され好景気に。上尾幌は全盛期を迎え、人口は推定4500人、小学校の児童数は一時的に800人を超えるも、第二次大戦の激化により配置転換が行われ、上尾幌所在の全炭鉱が一時休坑する。戦...

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