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標茶町発祥之地とその周辺

北海道川上郡標茶町にある塘路湖のほとりにある、標茶町発祥之地碑。

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周辺には標茶町郷土館と塘路駅逓があるが、どちらも移転復元されたものだ。

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標茶町郷土館
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元々は釧路集治監の事務所として建設されたものらしい。
説明看板の内容を要約すると、以下のようになる。と思う。

『政情不安定だった明治初期、罪人の激増に悩まされていた政府は
「北加伊道とか言ったっけ?あの蝦夷地。あそこでいんじゃね?
遠くて帰って来れないだろうからついでに人口も増えるし一石二鳥だろ。」
と考えたかどうかは不明だが、北海道にはたくさんの集治監が置かれた。
(結局は過酷な強制労働により命を落とすもの・刑期を終えても本州へ帰還する
ものがほとんどだったようで、人口増には繋がらなかった)
釧路集治監の廃止後は、陸軍省の軍馬補充部川上支部とし終戦まで活用。
戦後は道立標茶高等学校の庁舎として新校舎が出来るまで利用された。
現在、標茶町の文化財として復元したものである。』

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ちなみに時間が無かったので内部は見学していません。


塘路駅逓所
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駅逓所
1888(明治21)年、北海道庁は「人馬継立営業規則」を定めた。
交通路が整っていなかった北海道において交通の利便を目的とし、
駅逓制度に基づいて官主導で設置された北海道独特の施設。
旅人の宿泊や、荷物や郵便物の輸送で人馬の中つぎに利用された。
道内各所には多いときで270ヶ所もあり標茶町内には14ヶ所が設置されていたが、
14ヶ所のうち建物が残されているのはこの塘路駅逓所だけである。

大正時代に入り、
それまで使っていた「曳き舟」から焼玉エンジンを使った「動力舟」が
使用されるようになると、駅逓の必要性は薄れ、
昭和2年の釧網線開通が決定打となり、翌昭和3年、塘路駅逓所は廃止となる。

駅逓制度自体については、当時駅逓を管轄していた内務省により
昭和22年3月31日をもって廃止が決定された。
標茶町内で最後まで残っていた駅逓は「阿歴内駅逓所」で、
昭和21年まであったらしく、憶えている人も居るのではないか?
…と展示してあった資料には書いていた。


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この塘路駅逓所は、看板にもあるとおり「変わった建築様式」の建築物らしく、
「現在の大工が見てもどうやって建てたのかわからない」とも言われているようだが、
全く素人の私が見てわかるのかどうかは何とも言えない。

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取りあえず、内部の様子はまた次回。

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塘路駅逓所

塘路駅逓所
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駅逓所と郵便とは関わりが深いからか、ポストが。


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内部は暗く、見学の際にはこのスイッチで明かりを灯す。


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もちろん帰りには電気を消しました。


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建物には天井が無く、梁を見られるようになっている。


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変わった建築様式かどうかはわからないが、
このぐにゃぐにゃの梁は面白い。


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元々は漁番小屋だったらしく、そんな雰囲気は感じる。


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土間にはあがっても良さそうだったが、何となくやめておいた。


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この建物内部には、
ガラスケースに収蔵された駅逓に関する資料・壁に貼られた資料など
思っていたよりも豊富にあったため、駅逓を通して北海道の歴史を学ぶことが出来た。
道東のマイナーな郷土資料館だけに、全く人が入ってこないのもまた魅力だ。


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関連するタグ : 駅逓
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ずっと憧れていた工場の夜景

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工場と線路。
一番見たいと思っていた、川崎工場夜景で有名なスポットです。
念願の場所で初めての工場夜景に挑みました。

かつて、釧路市と白糠町の間にある釧白工業団地には、
DME(ジメチルエーテル)実証プラントがありました。
規模こそ小さいながらも闇に浮かび上がる光の城はとても幻想的で、
心に深く残る風景となりました。
多分、それ以来の憧れだと思います。


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私の場合、
キラキラした宝石箱のような風景より、
複雑に絡み合うウネウネの配管に萌えます。


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興奮と感動の工場夜景でしたが、
滅多に使わない三脚や半手動でのフォーカスに苦労し、
なかなか思うようには撮れませんでした。
何枚か撮った他の写真は今後、
じっくり加工しながらいずれ小出しに載せていきたいと思います。


special thanks to
写心~ウツスココロ~ 川貴 さん
and
自分、豆柴ですから… たまのめぐみ さん

関連するタグ : 工場 夜景
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不覚!病み上がりなう

すっかりご無沙汰してました!

病み上がり…と言っても急性の腸炎なんですがw
久し振りにやらかしましたorz


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悪い物を食べた覚えも無く特に思い当たるフシもないので、
仕事と子育ての疲れ…ということにしておきます。


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関連するタグ : 埠頭
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根室本線落合駅

これまでなんとなく記事にしてきた『北海道の無人駅』シリーズ。

鉄道の『て』の字も知らずに無人駅巡りを始め、
無人駅の放つ寂しい雰囲気やその歴史を知ることが好きになり、
気がつけばかれこれもう十駅を超えていました。
ちなみに、
これまでの記事では『常豊信号場』の拍手数が多かったのですが、何故かはよくわかりません。
信号場なのにホームがあるというのが珍しいのかな?


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さて無人駅シリーズ、
今回訪ねたのは北海道空知郡南富良野町字落合にある根室本線落合駅です。
訪ねたというか、
これから向かう『旧狩勝線』の探索で ひこ さんと待ち合わせた場所がここだったのですが。
根室本線 落合駅(T37) [廃線・鉄道・駅]
旧狩勝線は根室本線の旧線、落合-新得間を狩勝峠回りで通っていた路線で、
まさに探索の起点に相応しい待ち合わせ場所でした。


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落合駅は1901(明治34)年、北海道官設鉄道十勝線の駅として開業。


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駅舎好きのはずなんですが、今回駅舎内部の写真はありません。
普通の小さな待合室だったような…


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この跨線橋(人道)のほうは1967(昭和42)年の設置だそうです。
何故か跨線橋ばかり撮ってました。


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関連するタグ : 無人駅
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狩勝線 - 1.『落合駅~狩勝信号場』

旧狩勝線
1966(昭和41)年、根室本線の落合-新得間に新線が通ったため廃止となった路線。
落合駅-狩勝信号場-新内駅-新得駅 という狩勝峠を越えるルートだったことから
『狩勝線』と呼ばれた根室本線の旧線。
旧線廃止後、新内-新得間で廃線を利用した実験線として活用される。
1979(昭和54)年、狩勝実験線が廃止となる。


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落合第二号橋梁(第1下鹿渡橋梁) ←読めない
落合駅をスタートしてすぐにあったコンクリート製の橋台。


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今回も ひこ さんの同行でした。
…同行って言って良いのかな、私はいつも後ろをついて行くばかりで。申し訳なし。
ひこさんは廃線跡を探しに奥まで行ってしまったので、仕方なく犬と戯れる。


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昭和31年6月のプレートが残る電柱。しかも碍子付き。
落合~狩勝信号場間の廃線脇には、このような電柱がいくつかあります。


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小川の水は冷たかったのですが、二重に見えるアーチ橋が見れました。
手前にある煉瓦の橋が本線側、奥はスイッチバック側で橋は石造り。


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落合~狩勝隧道までは自転車で走行しましたが、
お陰で『狩勝隧道までの勾配』と、
『スイッチバックのある信号場が平坦であること』
を体で感じることが出来たのは良い経験だったかも知れません。

次回、狩勝線 - 2.『狩勝信号場』に続きます。

が、しかし、最近自由になる時間があまり取れないので
今後もしばらくブログ更新のほうは停滞気味になります。
持ちネタがある限りは細々でも続けたいと思っていますので
また遊びに来て戴けたら幸いに思う次第であります。

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狩勝線 - 2.『狩勝信号場』

狩勝信号場
蒸気機関車への給水給炭施設として、1907(明治40)年に開設。
周辺には駅員9家族、保線員21家族の30世帯が生活していた。

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往時の写真を見ると、ちょっとした集落を形成していたことがわかります。
周辺には住宅基礎跡や崩れた煉瓦が至る所で確認出来ました。
鉄道関係者だけの集落、保線への思い入れも強かったことでしょう。


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このプレートを読み取ると、
 単相大型計器函
 2B型
 北海道電力規格 
 製造 昭和29(もしくは20)年12月
 札幌農機販売株式会社
相当前のもののようですが、誰かがここへ置いたのでしょうか。


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落ちていた碍子には『1956-7』の文字が確認出来ます。
これが西暦であれば、和暦に変換すると昭和31年、
前回の記事(落合~狩勝信号場間)で見た電柱と同じ年代になります。


日本国有鉄道
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煉瓦も多数落ちていました。

この旧狩勝線、私が生まれる前に廃止されましたが、
記憶にある人は周りに意外と居り、
みんな当時の思い出話(主に苦労話)を、
懐かしいな~と言いながら楽しそうに聞かせてくれます。


Special Thanks to At the place - その場所で - ひこ さん

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プロフィール

シゲゾウ

Author:シゲゾウ
廃物件探索業協会 道東支部長

主に北海道の鉱山・炭鉱遺産・廃線跡など産業遺産系廃墟やトーチカなどの軍事遺構、その他無人駅・文化財・秘境などなど気まぐれに写真を撮っています。夜景も好き。


[注意事項]
遺構についての説明は個人が趣味の範囲で調べたものですので、必ずしも正確なものではありません。間違いがあればご指摘戴けたら幸いに思います。
また、当ブログで熊などが生息している危険な場所を扱うことがありますが、探索を推奨するものではありません。というか、むしろ行くべきではないと思います。突然の穴、崩壊、地すべり、いくら慎重に行動しても事故等の可能性は無くなりません。当ブログを見て何らかのトラブルに巻き込まれても当方は一切責任を負いません。
お約束ですが画像の無断使用はお断りします。リンクに関しては特に制限御座いません。

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