接近 ~ 阿寒川トーチカ

釧路市大楽毛、阿寒川の河川敷にあるトーチカ。

周辺は住宅地で畑もあり、番犬2頭に守られているため近寄り難い場所だ。

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というわけで、河川敷を迂回して接近する…のも面倒なので、
手っ取り早く付近の住民に声をかけたところ、案内して戴けることに。

正しい行き方を教わり、有難いことに途中までご一緒してくれたため、
犬には吠えらても不審者扱いされる心配はない。

単なる変わり者ということで。



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トーチカ周辺にはかつて家畜が居たとのことで、現在も有刺鉄線が残っている。



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ずっと近寄り難かった阿寒川トーチカに接近。



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埋まっているのか壊れてしまったのかはわからないが、小型だ。

後ろの木々には、カラスが等間隔におりこちらを見張っている。

このトーチカを守るのは、番犬だけではないようだ。

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観察 ~ 阿寒川トーチカ

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カラスを気にしつつ、正面に回って観察する。

コンクリートではない、煉瓦製のトーチカだ。



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銃眼が縦に2つある。

ひとつは完成してから銃眼口をあけられたのか、切断面の色が違う。



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下部の煉瓦はしっかり積まれているのに対し、上部は雑に見える。

上部のみ、煉瓦の外側をコンクリートで覆っていたのだろうか?



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トーチカ内部。

天蓋部分にはコンクリートやいろいろな種類の木が使われ、
当時、少ない物資で簡易的に急ごしらえしたことを窺わせる。

それにしても、頭をぶつければ痛そうな天井だ。



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上部は監視孔の役割もある銃眼、下部では匍匐姿勢で射撃、そんなところだろうか?


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撤退 ~ 阿寒川トーチカ

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多分、このトーチカ上部を背伸びして写真に撮り始めたくらいからだろう、
前記事から前フリしていたカラスたちが、突然騒ぎ始めたのは。



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以前、とある公園でカラスの巣に近づいた時のことを思い出す。
確かこんな感じの騒ぎ方だった、ということは巣が近くにあるのか?

気がつけば相当数、頭上を旋回している。



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取り敢えずトーチカに避難。



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しゃがんだ際、見上げると天蓋の通気口を発見した。

しばらく様子を見ても騒ぎは治まらない。
立ち去らない限りは無理か。



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そんなわけで足早に撤退しながらも撮影。

カラスはやかましいし、結局2頭の犬にも吠えられて、
近所迷惑なことをしてしまった。


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民家一体型特火点(トーチカ)

新富士トーチカ

釧路市新富士町、民家と一体になっているトーチカがあります。

この場所は、コチラ 『 釧路SOE研究所 』 様を参考にさせて戴きました。

というか釧路市内のトーチカの場所は、ほとんどコチラで知りました。

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一見してこれがトーチカとは思えませんが、裏へ回るとなるほどです。



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とは言え、銃眼も見えないしトーチカだと知らなければ気がつかないでしょう。



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民家一体型なので勝手に登るワケにもいかず、外観のみなのが残念です。

トーチカと接続している民家は恐らく使われてないようですが、
管理している方が近所に居るという可能性も無いことはないので、
まずは地元の方を探してみました。

周辺は住宅に囲まれアパートや会社もあるので誰か居るだろうと、
期待してみたものの結局は誰にも会えず終いでした。



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これにて釧路管内のトーチカ、
『桜ヶ岡』『大楽毛南』『阿寒川沿い』『新富士』は探索済みとなり、
残るは『すずらん団地』(企業の敷地内なので難しい)、『西庶路』(場所不明)、
この2つくらいかなあと思ってましたが、
先日、釧路空襲をまとめた本を図書館で読んだところ、
「昭和45年8月の調査では7基が確認されている」ことが判明しました。
40年以上も前のことなので、もう跡形も無いとは思いますが、
どの辺りだったのか、その時の資料を見てみたいところです。

本には他に釧路のトーチカについて書かれていたので、ここに記録しておきます。
「7基のトーチカは”ペトン製トーチカ”と呼ばれるものである」
「熊部隊により構築した時期は昭和19年である」
「海岸では湧き水のため掘り下げられず窪地に設置し、民家らしく見えるよう工夫を施した」
「海面上200mまでが射程距離である」
「釧路地方には砂利がないので十勝川より輸送した」
「興津の縄文遺跡で壕の跡を発見した」

というわけで釧路の戦争遺跡、まだまだ知らないことがたくさんありそうです。

釧路SOE研究所 様に、期待!w


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八千代炭礦(上尾幌) ズリ山編

上尾幌 八千代炭礦(?)跡

今回もマイナーな炭鉱跡、地味なローカル情報だが、
同じ趣味の方にとって参考になればと思う。



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厚岸町の炭鉱として紹介されている資料によると、ここは『八千代炭礦選炭場』。
奥に見える黒い山は、ズリ山のようだ。
選炭場の面影は無いが、手前の広い土地がそうだったのかも知れない。



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資料では『八千代炭礦炭住街』となっている場所。
別の資料では『新尾幌一坑、二坑の社宅≪炭鉱長屋≫』で、
丘陵に沿って階段状に社宅が並んでいた、となっている。

ここは、大正時代の地図で旭炭山から尾幌炭山の辺りで、
後の太平洋炭礦の地図では新尾幌一坑となっている場所だ。

資料に出ていたのはそのくらい。

小規模炭鉱が中心で大きな遺構が無いからか、
上尾幌の炭鉱跡自体ほとんど情報が無い。



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炭鉱長屋の道路向かいに尾幌川の支流だろうか、が流れている。
川の周りには、積み上げられたズリらしきものがある。



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錆びた遺構に近づいてみるため、ズリ山を登る。



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ズリ山を登ったのは、清水沢の炭鉱以来か。
こちらは手すりなど無いので危険だが。



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錆びた遺構の真上まで来た。
下から登ればすぐだったが、ズリ山に登ってみたかったので。



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この遺構、別の方のブログで見たものだが、
近づいてみてもやっぱり何だかわからない。



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やはりズリを集めるためのものかな。



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ちなみにズリ山、漢字で書くと「硬山」で、これも産業遺産だ。
九州ではボタ山と呼ばれる。


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八千代炭礦(上尾幌) 小さな遺構編

上尾幌 八千代炭礦(?)跡

やはりここには、大きな遺構は無さそうだった。



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これは『八千代炭礦導水施設』だそうだ。
近寄って見ようと思ったが、
ここの向こう側から何かの動物の咆哮が聞こえたのでやめた。

この時期は鹿撃ちの時期でもあり、熊だって居るかも知れない。
鹿の居るところに熊は居ないと言われるが、ともかく炭鉱跡は危険が多い。



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錆びた一斗缶を見つけた。



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小さいながらも遺構があり、産業と生活の痕跡が見られる。



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何の設備だったのか、中には石炭が詰まっている。



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レール(にしては細いか)も突き刺さるように、あった。



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八千代炭礦と言われるこの場所に残るものは、このくらいか。



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帰りがけ、周辺を見回すと奥の川原で遺構を見つける。



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炭鉱と関係があるかは不明だが、背伸びして撮影。
電波塔でもあったかな。



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木に登って撮影。



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コンクリートは質が悪いのか結構ボロボロだ。



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八千代炭礦の探索を引き上げ、帰路に。



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炭鉱長屋の下辺りにまたレールのようなものを見つけた。

ここ八千代炭礦は、上尾幌と鉄道が繋がっていたという記載もあり、
調べてみれば何かわかるかも知れない。

またゆっくり来てみることとして、今度は自転車かなあ。
ここへの道には砂利の何倍も大きな石が敷き詰められた場所があり、
いくらスピードを落として走行しようとも車の底が傷だらけになるので。


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廃校を利用した公民館 ~ 跡永賀小学校

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今も残ると聞く跡永賀炭鉱跡。を探しに、聞き取り調査で釧路町跡永賀村を訪ねました。

しかし正月明けの平日、寒いし外には誰も出ておりません。

仕方なく周囲を見回すと、この古そうな建物が目に入りました。

施錠された入り口には『釧路町公民館 跡永賀分館』と書いてあり、

ぱっと見普通の二階建て民家ですが、良く見ると校章があります。

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木製の校章が、学校跡を物語っています。

中央に『跡』という文字、跡永賀村の『跡』ですね。

申し遅れましたが、跡永賀は「アトエカ」と読みます。



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外観を見学しながら、あわよくば誰かが通りがかるのを待ちます。

ここは教室かな。跳び箱が置いてあります。



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それほど大きくない学校だったようです。



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体育館の裏側には金網がぶら下がっていました。

学校があったということは、集落としては大きめだったのでしょうか。



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結局誰にも会えなかったので今回は諦め、次の目的地『冬窓床(ブイマ)』へと向かうことにしました。



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後日、跡永賀の学校を調べてみると、小学校だったことがわかりました。

ここ跡永賀村は、

1870(明治3)年に佐賀藩の佐野孫右衛門が漁民を移住させたことに始まるようです。

跡永賀小学校の開校は1880(明治13)年、閉校は1980(昭和55)年。

ということは、ちょうど100年目で閉校となったのでしょうか。

場所的には昆布森(コンブモリ)と知方学(チポマナイ)の中間ですが、

今の子供たちはどちらの小学校に通っているのでしょうね。



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これはアトエカ(跡永賀)を示す『釧路町難読地名看板』。

思えばこの看板を探して走り回ったのが、今から11年前。

今でもたまに見かけると、当時を思い出します。


…それにしてもここ数年この看板の近くに、やたらと政党ポスターが増えた気が…

そう思って11年前の写真を見直すと、何故でしょう、ポスターなんて全くありません。

せっかくの難読地名看板なのに、なんか残念な感じです。


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秘境、冬窓床の索道跡1

釧路町冬窓床。

秘境と言って良いのかわからないが、

恐らく普段は誰も住んでなく、昆布漁の時期になると人が来る、

そんな場所なのではないかと思う。(憶測)


ここにロープウェイ跡があることを知ったのは今から10年ほど前だったか、

自己満足北海道』様の「冬窓床ってなんて読むのさ~?」を見たのがきっかけで、

それ以来いつか見に行きたいと思っていた…ことを先日思い出したw



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この看板の通り、冬窓床と書いてブイマと読む。

ちなみに下の方に書いてる初無敵はソンテキ、跡永賀はアトエカ。

読み方はいろいろあるようだが、難読地名看板にはそう書いてる。



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集落へ至る道にはゲートがあり、車で入ることは出来ない。

作業車の邪魔になるのでゲート前に駐車しない旨の注意書もある。

そのゲートを見て定住者は居ないと判断、

注意書を見て作業のため未だに利用はされている、と思ったワケで。


というわけで、邪魔にならない場所に車を置き歩いて探索開始。



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野生動物に会わないかとビクビクしながら進む。

寂しい。

タイヤ痕があるので車が出入りしてはいるが、

さほど新しくもないのでしばらくは通ってないようだ。



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日暮れがせまるなか、やっと目的のものが見えてきた。

ロープウェイの支柱だ。



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この辺りに小屋でもあったのか、組んだ板が。

近くにロープウェイ巻き揚げの機械らしきものと、

錆びたゴンドラがあるが、まずは支柱を観察する。



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タイヤ痕はここまでで、ここからは急な斜面になる。

急斜面の遥か下の方は海岸になっていて建物もあり、

昔は収穫した昆布をロープウェイで上まで運搬していたようだ。

現在は何らかの車輌が利用されているらしい。



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支柱の足元には、ワイヤーと金具が残っている。



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思ったよりも高さがあった。



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土台のコンクリートが見えている。



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ワイヤーは土に埋もれながら上まで続いている。


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秘境、冬窓床の索道跡2

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斜面を登り、楽しみにとっておいた『ゴンドラ』まで戻る。



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ここに何年残されているのだろうか。



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トタンも残る、小屋の跡。



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巻き取られたワイヤーが残る。



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ワイヤー巻き揚げのエンジンだろうか。

ここはゴンドラの操作小屋だったようだ。



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巻き揚げの支柱は倒れてしまったのだろうか。

それとも元から横たわっていた?



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良く見ると、錆びてこの色になったワケではないような。



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巻き揚げの支柱、ゴンドラ、ゴンドラの支柱の位置関係。



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そして、巻き揚げエンジンと小屋の位置がこうだ。


このゴンドラが昆布運搬用だという根拠は、ネットだったかな。

昨年、市内の海岸で見た『籠』がまさにその役割で、

崖下から崖上まで昆布を滑車で引き上げているものだったが、

それの巨大バージョンといったところか。


初めて知った10年前でも既に使われていなかったようなので、

もっと前からここでの収穫量が減ってしまい、やがて必要とされなくなった、

そんな感じだろうか。



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様々な謎を残したまま、今回は戻ることにする。

この場所について郷土資料も探してみたが、未だ情報が見つけられない。



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日暮れが近いし寂しいし恐かったので戻ってしまったが、

今にして思えばゴンドラの行き着く崖下側を見ておけば良かった。

海岸まで延びていたのか、途中の支えはどうなっていたのか、

そんなことを考えているうちに、バリケードまで戻っていた。


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雪の降る日の炭鉱跡 その1

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At the place - その場所で - ひこ さんと訪れた冬の炭鉱跡。

雪に覆われる遺構の風景を堪能して来たので、今回から小刻みに写真を載せていきます。


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