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変電所跡 - 新三笠炭鉱4

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新三笠炭鉱の変電所跡に散らばる碍子。

幌内炭鉱変電所と違ってこちらの変電所跡は整備されているわけではない。



なんとなく変電所跡らしい遺構が
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建物の周りを歩いてみる
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道路から裏側に回りこむと、かろうじて屋根が遺っているのが見える。

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変電所跡 - 新三笠炭鉱5

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壁面に見える、等間隔に開いた穴。

幌内の変電所や清水沢発電所でも見たが、同じような雰囲気だ。



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真夏になれば緑に埋もれ、何も見えなくなるだろう。


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建物には植物が絡みついている。


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朽ちた建物に絡みつく植物…好きな雰囲気だ。


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変電所跡 - 新三笠炭鉱6

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変電所の遺構、内部。



入り口
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機械などは何も遺されてないようだ
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この壁には屋根の跡が
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絡みつく植物が、建物から扉を剥がそうとしていた。


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選炭施設 - 新三笠炭鉱7

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新三笠炭鉱の選炭施設。

現役稼働中の工場敷地を迂回し、選炭機?の真下へ近づく。

新しいように見えるものと、かなり古そうな遺構が並ぶ。



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そう大きいものではないが、真下から見るとかなりの迫力を感じた。



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専門知識が無いので、どれがどんな役割だったのかは不明だ。



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新三笠について、ネットの情報からざっくりと調べたものをまとめる。

昭和5年、昭和鉱業により開業
昭和16年、昭和鉱業が北炭と合併
昭和22年、北炭新幌内炭鉱を発足 ← 選炭機はこの時のもの?
昭和42年、幌内と新幌内が合併し、新三笠炭鉱を発足
昭和46年、旧新幌内の一部を北斗興業へ譲渡、北斗興業新三笠炭鉱となる
昭和48年、新三笠炭鉱が閉山

どこまで合ってるのかは不明だが…



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今度訪れることがあれば、遺構の上から見下ろしてみたい。


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弥生炭鉱跡

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『住友奔別炭鉱弥生坑坑口』として紹介されている遺構。

パッと見アーチ橋の一部にも見えるので、

コンクリートで密閉したアレならまだしも、

ここが坑口と言われてもあまりピンとこなかった。

手作りのバリケードに無断立入禁止の看板を見ると、

尚更坑口っぽい雰囲気ではない。


起源は弥生炭鉱。

明治38年に(吉備炭鉱として)開鉱、東邦炭礦の経営を経て住友へ。

最終的には住友奔別に統合し、昭和45年には閉山となった。



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こちらは巻き揚げ機の台座のようだ。

昭和35年に奔別の立坑が完成するまでは、斜坑があったらしい。

鉄筋がふんだんに使用されているので、戦後のものかな?

資材がいくつか置かれているが、とりあえずまだ丈夫のようだ。



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ご覧の通り、弥生炭鉱跡の周りは畑になっている。

三笠市弥生橘町の住宅街にあり、

資材などの保管場所として今も利用されているようだ。



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三笠の炭鉱遺産としては、幌内や奔別や幾春別と違い、

ここは唐松地区同様、放置されあまり注目されてないようだ。


コンクリートの劣化は激しいが、

破壊され何も無くなってしまうよりはマシだろう。


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オホーツクの巨大ズワイガニ

巨大オブジェ「ズワイガニの爪」
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道の駅「オホーツク紋別」より東に300mほどに位置する巨大オブジェ。

紋別市の写真スポットとして観光客から人気を集めている「カニの爪」。
設置から20年以上経過しているため老朽化が激しいものの、
毎年費用をかけ修繕が施されているという。

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日没から22:00頃まではライトアップされ、

紋別港の暗闇に浮かび上がる姿は幻想的とのこと。

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「紋別百科事典」という文献を参考にしたという情報によると、
このカニ爪オブジェの歴史は以下のようだった。

1983年、紋別市による『もんべつ流氷アートフェスティバル』が開催。
氷上に「巨大ピラミッド」を設置。
次いで翌1984年にこの「ズワイガニの爪」、1985年には「鮭の親子」、
間を置いて1994年に「ホタテ貝」と設置してきたが、
「カニ爪」以外の巨大オブジェたちは自然の猛威にさらされ壊滅、
或いは不人気などで撤去された結果、現在「カニの爪」だけが遺されている。

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看板には高さ12m・幅6m・重量7tのスペック情報とともに、
製作は昭和50年作成との記載がある。

あれ?昭和50年?1984年ではなく、今から39年前の1975年?
…実はネットの情報だけでは正確な年代を調べられず、
紋別市史?でもきちんと調べない限りは正確なところはわからない。
…にしても昭和50年というのはかけ離れすぎのような気もするが、
看板に書いてあるからには正しいのかも知れない。

謎だ(笑)

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雄武トンネル(未成)

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国鉄興浜線(未成区間)のトンネルです。


今回の旅の主目的は『北隆鉱山・北見鉱山探索』でした。

オホーツク海沿いの道を走りながらチラチラ見えてくる路盤や橋梁…

興浜南線~興浜線の遺構だと思いますがゆっくり見学する時間は無いため

同行の ひこ さんと二人、行きは見なかったことにして我慢しましたが、

帰りは耐えられなくなってちょっとだけ寄り道したのがここです(笑)

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刻印は「1967-8」か、「1957-8」にも見えます。

雄武町からの路盤工事開始が1966年らしいので「1967-8」かな?

う~ん、難しいことはわかりません。

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初夏の北隆鉱山1

北海道紋別郡雄武町の発展に貢献した鉱山、北隆鉱山。


昭和14年12月末の北隆鉱山周辺地図
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大正7年に発見、11年には坑道を掘削し金銀鉱石を採取。

昭和2年、久原鉱業(後の日本鉱業、ジャパンエナジー)が権利一切を譲り受け、
昭和3年に本格操業を開始。

昭和8年には採掘を機械化し、9年に製錬所を着工、10年5月に製錬所が完成。

最盛期には従業員500名、集落には2000名の人々が暮らしていたが、
太平洋戦争の勃発により金鉱業整備が行われ、昭和18年4月には採鉱を休止、
鉱区及び施設一切を帝国鉱業開発株式会社に提供。

昭和18年10月、北隆国民学校の廃校で無人の街となった。

戦後、数度の調査が行われているも、発展には至っていない。



…という北隆鉱山、79年前に造られた製錬所の遺構を訪ねました。

鴻之舞鉱山では不発に終わり、恵庭鉱山で魅せられて以来の鉱山好き。

いつもの友人『北旅人- Photolog -』の、ひこさんにお願いし念願叶いました。



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林道に車を置き、たまに硫化水素臭のする小川を遡り歩くこと数十分、
木々の向こうに古代遺跡の様な雰囲気の遺構がチラチラ見え始めました。

時期的にはギリギリだと思ってましたが、今年の緑の成長は予想外に早く、
この距離からだと単なる森に見えてしまいます。



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全景が見れなかったのは残念ですが、近づくと遺構を見ることが出来ました。



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古い石垣には、精錬で必要な穴がいくつも開いています。



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山の斜面に沿って階段状になっているのがわかります。

現在は剥き出しですが、往時は屋根付きの上屋で覆われていました。



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まるでお城のようにも見える製錬所の遺構。

登れるところまで登ってみることにします。


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初夏の北隆鉱山2

ハチに襲われながら上の段を目指します。

全部で何段あるのかは数え忘れましたが、

同じ青化製錬所である恵庭鉱山が8段、

ここもそのくらいだったように記憶しています。



長年の苔に覆われて形がはっきりしない石垣
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シューターの穴
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石垣に植物が絡みつく
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ボルトで固定された木が石垣から突き出ています。

やがて植物に全て覆われ、自然に還って行くことでしょう。



下の段へと続く穴
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所々にシューターの穴が空いているので油断は出来ません。



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下から4、5段目だったような気がしますが、

製錬所の遺構が待っていました。

どんな役割のものだったかはわかりません。



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更に上方には恵庭鉱山でも見た柱のトンネルがあります。

元々は壁があって粉砕前の鉱石を貯えていた施設、

と想像していますが、所詮素人考え。

正解が知りたいなあ。

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初夏の北隆鉱山3

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柱のトンネルのような感じで遺っている、何らかの設備跡。

恵庭鉱山でも同じような形のものを見たのですが、

このタイプの鉱山製錬所には欠かせないものでしょうか?

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壁面からは一定間隔で鉄材が突き出ています。



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トンネルを抜け、ここから上の方は

こんな感じになっていた
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ので、

引き返します
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何かの機械の土台と思われる
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この辺りには製錬所関連の機械があったようで、

コンクリート基礎・土台、鉄材などが点在していました。

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何が何やらさっぱりわからなかったので、

後日、図書館で鉱山関連の資料を探してみたのですが、

調査スキルが無いので結局何もわからず終いでした。



北隆鉱山の『ズリ山』
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石炭でなく、金・銀鉱石の場合でも

『ズリ山』と呼んで良いのかどうかもまた、不明です(笑)

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プロフィール

シゲゾウ

Author:シゲゾウ
廃物件探索業協会 道東支部長

主に北海道の鉱山・炭鉱遺産・廃線跡など産業遺産系廃墟やトーチカなどの軍事遺構、その他無人駅・文化財・秘境などなど気まぐれに写真を撮っています。夜景も好き。


[注意事項]
遺構についての説明は個人が趣味の範囲で調べたものですので、必ずしも正確なものではありません。間違いがあればご指摘戴けたら幸いに思います。
また、当ブログで熊などが生息している危険な場所を扱うことがありますが、探索を推奨するものではありません。というか、むしろ行くべきではないと思います。突然の穴、崩壊、地すべり、いくら慎重に行動しても事故等の可能性は無くなりません。当ブログを見て何らかのトラブルに巻き込まれても当方は一切責任を負いません。
お約束ですが画像の無断使用はお断りします。リンクに関しては特に制限御座いません。

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