たんけんのきろく@探索の痕跡

炭鉱跡や戦争遺跡など、産業軍事遺構の探検写真ブログ

2019 雄別炭鉱病院

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しげ@ぼうけんか

2021年現在でも、未だに心霊スポットとして語り継がれる『雄別炭鉱病院』。

ネットで検索すると相変わらず最恐スポットなどと紹介されており、たま~に動画もアップされていることからまだまだ需要があるということか。

オカルトは好きだが個人的にはなんか…違うと思う…新築だし。

まあ、人それぞれなのでw



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1968年初頭、木造だった旧雄別炭鉱病院(診療所?)が火災で消失。

その後鉄筋コンクリート構造で再建されたものが、完成から50年以上経った今でも現存。


雄別炭鉱は1970年2月に閉山、4月には雄別本線が廃線となったことから、この病院が使われた期間は恐らく1~2年、ほぼ新築のまま役目を終えたと思われる。



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初めて訪れたのはかなり昔、心霊と廃墟への興味でデジカメ片手に単独訪問して以来、何度も足を運び、千羽鶴や落書きがあった時代から徐々に姿を変えていく様を見てきたが、、、



ここへ来て大きな変化が!

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正面玄関にセンサーアラーム。機械取り付け周辺部にはそれなりの補修がされている。



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そして防犯カメラ。こちらもしっかりと取り付けられている。



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更にセンサーライトも付いていたが、こちらの天井開口部の処理は雑だ。作業途中か?作動はしなかったものの、夜に行ったらビビるだろうこと請け合いだ。


2018年6月訪問時には無かったが、2019年9月訪問までの間に取り付けられたようだ。

一体誰が、何の目的で?


思い起こせばこの建物、十数年ほど前はこんなだった。

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第二次オカルトブームの頃は落書きだらけ、至るところに千羽鶴、線香代わりのタバコ、ゴミも散乱。



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2007年には経済産業省が近代化遺産として雄別炭鉱を認定、保存に向けた動きに伴ってか、病院内の清掃や落書きを隠す塗装、補修のための塗装も見られるようになった。


それが何故今になって突然センサー類を取り付けるに至ったのか、雄別を研究している方やその道の詳しい方に問い合わせてみたものの答えは出ず。


頭をよぎったのはこれら清掃・整備に携わってきた方々、夏には病院周辺の下草を刈ったり、一時期は案内看板を設置した時期もあったが、これら雄別遺構を大事にしてきた方々の存在だ。

今まで苦労して綺麗な姿にしてきた方々が、侵入を拒んでいる?

センサー類の電源はソーラーだろうし、電波は届かないので衛星インターネットでも用意しない限りはセキュリティとしての役割を果たせないだろうが、、、もしかしたらオーナーの意思?

わからないが、とにかく近づかないことにする。



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という訳で、、、さようなら。



念の為、雄別購買にも立ち寄ってみる。

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センサー類は取り付けられているだろうか。



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無かった。



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いつも通りの購買。



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木製の階段はかろうじて無事だ。



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階段を上った先、何の部屋かはわからないが崩落も時間の問題か。



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写真右奥、天井から垂れ壁のように残っていたものが、今ではすっかり落ちてしまった。



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外階段の手摺は何年か前に塗装されていたものが、少しずつ剥げてきている。



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この階段を上った先は、



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今は花や木で覆われている。



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病院へのセンサー取り付けの衝撃から、色々と考えてしまった。

誰かが愉快犯的に、簡単に取り付けたものじゃないだろう、お金だってかかっているに違いない。

…謎だ。

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神の子池とハイランド小清水

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しげ@ぼうけんか

いろいろあってなかなかやる気が出ず気がつけばもう10月。

まだ新型の感染症など噂すら無かった去年の秋、神の子池とハイランド小清水725に行ってきた。


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なので、写真は約一年前のものです。



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8年ぶりに訪れた神の子池、既に日没が近いので観光客はまばらだった。

池を囲う木道や看板などが整備され、昔のような秘境感はなくなったかも?



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相変わらず青い。

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青く見えるのはこの部分だけ。

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池底の石灰や水酸化銅の影響とも言われているが、未だにハッキリしないらしい。

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清里町のwebサイトによると、今年の9月から木道塗装工事の予定があり、部分的な立入り制限があるようです。



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ついでなので裏摩周展望台で夕景を撮影。

星空撮影のため月の入りを待ってハイランド小清水725へ。



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天の川、ミルキーウェイっすね。

実際はもっと綺麗だったのに…カメラの設定に四苦八苦し50分程ロスしたお陰で一番良い時間帯を逃したw



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気がつけば雲海。



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滞在時間は90分ほどだったが、標高725メートルで風も少しあったためすごく寒かった記憶が。



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最後は愛車と流れ星っす。

まともに星空を撮りに来たのは今回初めてだったが、悪くないなあまた来ようと思いつつ一年が経過w

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由良要塞 機関室と電灯所

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しげ@ぼうけんか

崩落していた海軍由良水雷隊の隧道付近には、機関室跡とも発電所跡とも言われる遺構があります。

いつものことですが、詳しいことは全然知らないですw

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遺構全景。



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崖上まで水路のようなものが続いてましたが、上水・工業・発電などの用水路?魚雷関連??



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機関室だか発電所だかを横から見た図ですが、レンガ積みと斜面の石積みが良い感じっす。



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第一印象は「炉」ですが、発電所だとすると火力?

発電所の規模感がどんなものなのかは見当もつきませんが、サーチライト用の電力を造っていたのかな?

国土交通省関東地方整備局のサイトにあった第三海堡「電灯所」のウェブページには、

『明治時代の探照灯(現在のサーチライト)は、操縦桿によって水平から俯仰、左右に手で動かしたようです。発電は機関舎にボイラー・スチームエンジンを据付け、発電機で発電し、探照灯までケーブルで通電しました。
 常時探照灯は地下の電灯井に格納し、有事の際には、探照灯を電灯座に載せ昇降機で引き揚げて使用していました。第三海堡では探照灯を台車に乗せたまま、照明所に運搬するために用いたと思われる軌条(レール)も確認されました。』

という説明があったので、探照灯のために発電所を備えるというのは、明治期では一般的だったのでしょうかね?



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「炉」の裏側の図。井戸のような煙突のようなものと接続しています。



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上から覗いてみると、

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こんな感じで、レンガの”円”は美しいっすね。。。



それでは電灯所に向かいます。

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藪漕ぎをしながら海側へ向かって歩くこと数分、排水路らしき場所に出ます。

更に排水路を辿って行くと、今度は大量のレンガ。



そこからすぐ近くにレンガの坑門が。

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探照灯格納庫と言われるものです。が。排水路が直接ここに繋がっていたら中は水浸しですね、、、??

入ってすぐの天井には、発電所からのものかも知れないケーブルを止めていたような跡がありました。



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早速、隧道に突入です。



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先程の隧道と同じく右カーブしてますが、先程のようにジメッとした空気感は無く奥からは光が。



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10数メートルくらいかな、無事に隧道を抜けることが出来ました。



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外に出て振り返ると…坑門のアーチと隧道のアーチが妙な感じで重なってます。



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海の匂いと海の音が凄いな、、、と思ったら目の前が海でしたw

ここの場所まで、探照灯格納庫から電灯座に乗せてトロッコで運搬するものだったに違いないです。



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夕暮れが近くなって来たので戻ります。



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枕木とレールの跡が、しっかりと遺っていますね。



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コモリもゲジも便所コオロギも居なかったので、快適に往復出来ましたねw

坑門の上部にはプレートでもあったのか、跡が遺ってました。

というところで由良要塞、友ヶ島と深山地区の探索はこれにて終了です。


最後は南海でなんばまで戻り、お好み焼きとビールで乾杯というとても幸せな一日を過ごしましたw