鴻○舞プチ探索 - 5

6 Comments
しげ@ぼうけんか

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○之舞プチ探索、最後は土砂降りの雨でした。
見たかったものは次回の楽しみにして、
傘を片手に行けそうなところを駆け足でまわります。



清明寮跡の看板と門柱。
P1070604.jpg

保存会の方が、このような看板を設けているようです。



昭和十五年竣功の橋。
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P1070640.jpg

いろいろ残っているものを確認しましたが、
わからないものばかりでした。
次回は上藻別駅逓所で調べてから再訪したいと思います。



1916年に誕生し、1973年に閉山した○之舞鉱山。
最盛期には13,000もの人が生活していましたが、
現在は沈殿池稼動の関係者以外、人の気配は全く無いようです。

…と思っていましたが、意外と交通量もあり見学者もぼちぼち。
わざわざ遺構の周辺にロープを張ったのは、
見学者の安全のためなのか遺構の安全のためなのかはわかりません。

遺構の安全と言えば、以前行われた某炭礦でのフィールドワークにて、
参加者の一人が脆くなった遺構の壁を足で崩して(遊んで?)居ました。
モラルについてとやかく言えた義理ではありませんが、
この人は何を感じて参加しているんだろう、と思いました。

a.当時の思い出を懐かしむ人
b.人知れず朽ちて行く遺構の存在理由に思いを巡らす人
c.遺構は遺構であって歴史や理由など関係ないと思う人

感じ方は人それぞれで良いかと思います。
私はb.のタイプですが、
この人は遺構を崩すのが好きなタイプの人なのかも知れませんね。
崩すなよ!と思うことも、落書きするな!と思うことについても、
所有者でもない私の勝手な希望ではありますが…出来ればそっとしておいて。。。


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しげ@ぼうけんか
Posted byしげ@ぼうけんか

Comments 6

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犬山にゃん太郎  
鴻之舞鉱山

時代の背景もあるのでしょうが、こういう状態になってから
単純に見てると、ホントに必要だったのか?
と思えてきますよねえ。

しかし、疑問というか心配ですが、冬前ですこのような場所探し
熊とかは大丈夫なのですか、気をつけて下さいね。

2012/11/01 (Thu) 15:01 | EDIT | REPLY |   
kanageohis1964  

こんにちは。

こういうのは何れ「遺跡」になるんでしょうかねぇ。「遺構」や「廃墟」と「遺跡」の間にある距離感をふと考えました。「遺跡」ということになれば間違い無く破壊行為は戒めの対象になりますよね。

2012/11/01 (Thu) 17:34 | EDIT | REPLY |   
F090/Shige  
> 犬山にゃん太郎 さま

どう感じるかも人それぞれですね(笑)
少なからず日本の経済、
産業を支えてきたのは間違いありませんよ。

熊よけ鈴だけが頼りですが、
気を付けるしかありませんね(´∇`)

2012/11/01 (Thu) 17:39 | EDIT | REPLY |   
F090/Shige  
> kanageohis1964 さま

初めまして!
カテゴリー的には、炭礦跡は近代化産業遺産であり、
文化遺産ですので遺跡との違いは年代くらいかも知れません。
その年代の隔たりは大きいですが(笑)

それ以前に、例え廃墟でも破壊はどうかと…

2012/11/01 (Thu) 17:53 | EDIT | REPLY |   
朴 狸 髭  
不謹慎…

お早う御座います。
最近の傾向でしょうか?思慮が不足なのが多い。
痛みや思いやり、気遣いの欠けてる人が多くなった。

個人的にはaとbに半分ずつかなぁ…^^

こういう類は自然に風化していきますね、誠にそのままで行かせて欲しい。
鴻の舞、居ながらにして〝灯台下暗し〟が悔やまれます。

次回の上藻別駅逓所、多くの方が紹介していますね。
紋別に住んだのは八年程度、年代的に興味が無かったのですが、
飛んで行ってみたい心境です。

2012/11/02 (Fri) 08:43 | EDIT | REPLY |   
F090/Shige  
> 朴 狸 髭 さま

こんにちは!

その件に関して私が思うのは、
炭礦について学ぶため現地に行って
当時関わっていた人のお話を聞いてるという状況でいて、
遺構を崩すという神経がすごいな、という事でした(^^

マナー云々については、
自己責任で企業の敷地内にちょっとだけ…
なんてことも無くはないので偉そうなことは言えませんが、
例えば廃墟の落書きを見てみると今から20年以上も前のものだったり
破壊もその頃だったりします。
恐らく当時は廃墟に出入りする人間はごく一部のヤンチャな若者ばかりで、
一般の人間が出入りすることが少なく目立たなかっただけであり、
一概に最近の、とも言えないかも知れません。

朴 狸 髭 さまは紋別に住んでらしたのですね。
上藻別駅逓所には、保存会の方々による当時の資料が満載だそうです。
私も飛んで行ってみたい心境です(^^

落書きも破壊も、それを含めて廃墟、とは言いますが、
当時の暮らしぶりや営みを知ると、そういう行為は減っていくかも知れません。

2012/11/02 (Fri) 11:48 | EDIT | REPLY |   

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