Category浦幌炭鉱 1/1
ずっと気になっていた~浦幌炭鉱 -2-

記憶が曖昧なので、隧道どこだっけ?という感じで探索を続けます。隧道に至る道を見つけましたが、途中に看板が。元々隧道下の斜面は崩落していたので、それが酷くなったのかな?前回はこんな看板無かったはずですが。尺浦隧道、浦幌側に到着です。前回は団体での訪問だったのでじっくり見れず心残りでした。が、結局、ライトを車に忘れてしまったため見れる場所は少なく、閉塞部の確認も出来なかったという点で多少心残りw浦幌側...
- 0
- 0
ずっと気になっていた~浦幌炭鉱 -1-

stroll into の masaki.m 様 より開かずのゲートが開いたぜという情報を入手したので、半年ぶりにお出かけしてきました。この炭鉱に来たのは2回目。。。前回は団体行動でじっくり見れず心残りでしたが、気がついたら道路崩落とかでゲートが封鎖。その後何度か訪れるも一向に開くことのないゲートでした。そんなわけでゲートに到着。確かに開いてるのを確認。最後に来たのが5年前だから、4年間閉まりっ放しだったんじゃないかな?ま...
- 0
- 0
浦幌炭鉱 木々とアパート
- 4
- 0
浦幌炭鉱 ~ 通風口坑口 ~

バスツアーの最後はここを見学して終了ですこの日は雨が降っていたのですが バスが栄町の炭住アパートに到着する頃に止み見学を終えてバスが走り出した途端に大雨と非常に絶妙なタイミングで とても幸運でした!雨天決行とは言えもし雨が降っていたら 思い出を写真に残すことが困難だったかと思うとつくづく晴れて良かったですバスツアーでご一緒した 福島方面や九州方面の方々遠い道東にまで足を運んで下さった皆様にとって ...
- 2
- 0
浦幌炭鉱 ~ 尺浦隧道 ~

尺浦隧道 昭和十七年六月竣功閉山後もしばらくは使われていたそうですこの隧道は長さ6km 尺別炭砿まで途中直別川を渡り繋がっていました隧道は奥行5mほどで土砂に埋もれています入り口付近にはたくさんの落ち葉があります撮れてませんがカエルもいました落ち葉は真上にあるたくさんの木々によるものです見学ツアーは最後のスポットに向かいますその前にここ 常室川にかかる双運橋(そううんばし)平成2年10月竣功 ですこのような...
- 0
- 0
浦幌炭鉱 ~ 旧病院跡地 ~

旧病院跡地「この周辺は一大市街地を形成しておりましたその当時の浦幌町の人口は14,000人以上」手元の地図(手書き)によるとこの病院の周りにあるのはお寺/神社/共同風呂/派出所/購買所/総合ボイラー/貯炭場/鉄橋/ハーモニカ長屋ハーモニカ長屋は元朝鮮人宿舎だったそうです(ここの宿舎がどうこうではなく、我々には知っておくべき歴史もあるのです)施設がたくさんあったようですが 残っているのはこの病院跡と言っても 柱と基礎...
- 0
- 0
浦幌炭鉱 ~ みらいの森 ~

後ろ髪ひかれる思いで栄町のアパートを後にしますこのアパートがいつ頃まで使われていたのかはいろいろ調べてもわかりませんが(係員の方が説明してくれてたかも知れませんが写真に夢中で…)炭山小・中学校が昭和32年頃から急速に衰退し始め昭和42年に閉校ということなので その近辺かな?ここを敢えて解体せず 残してくれたことに感謝しています今度機会があったらアパートの中に…少し進んだところに橋があります昭和五十三年十二...
- 2
- 0
浦幌炭鉱 ~ 炭住アパート ~

炭住アパートに接近します近くで見ると建物の迫力が増します周りにあるたくさんの木々が このアパートをのみこもうとしているようです中には入れないので 外観や窓からのものしか撮影出来ませんがそれでもみなさん無心にカメラを向けていました二階が気になりますがやむを得ないですねここから徒歩で更に奥地へと向かいます (続く)...
- 0
- 0
浦幌炭鉱 ~ 浦幌炭砿の歴史 ~

浦幌炭砿の歴史が この看板に記載されています手元の資料によると以下の通りです明治28年 古河家が探鉱大正 2年 大和鉱業が買収大正10年 戦後の不況により休山昭和11年 三菱雄別炭砿鉄道が買収昭和17年 尺別・浦幌間のトンネル「尺浦隧道」完成昭和19年 戦争の影響で九州配置転換が行われ休山昭和22年 従業員が復帰し復興に着手昭和29年 戦後の不況と業績不振のため10月31日に閉山浦幌炭砿跡は地元の方の手で整備され散策...
- 0
- 0