Category白糠線 1/1
国鉄白糠線 真加代川橋梁

白糠線の廃線跡に遺るコンクリート橋梁、『真加代川橋梁』。前回は単独で『蓮花沢橋梁』を調査したが、今回は助手と一緒だ。これは『蓮花沢橋梁』から北進方向にある小さな橋梁。(wikiでは『蓮華沢橋梁』となっているが、プレートの刻印は『花』だった)『真加代川橋梁』のプレートと刻印。竣功は昭和33年12月、刻印は昭和34年4月。(白糠線の開業は昭和39年10月)白糠線の廃線跡には、大小いくつもの橋梁が遺っている。規模は小さく...
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上茶路駅 (国有鉄道白糠線)

白糠線はもともと石炭と森林資源の開発のため計画された路線だったが、雄別上茶路坑の閉山により人口が激減、赤字路線となり開業からわずか19年で廃線となった。1983年、白糠線の廃線に伴い廃止になった上茶路駅は、道道665号上茶路上茶路停車場線の終点にある。上茶路駅のある道道665号は、国道392号と重複した区間があるため地図で見るとやけに短いように見えるのが特徴。ちなみにこの短い道道、ほとんど手入れがされておらず放...
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国鉄白糠線 第7茶路川橋梁

観渓橋から見る白糠線の橋梁。この橋を辿って行けば、縫別トンネルに行けるはず…橋には枕木がすごく残っている。行こうと思えば保線用の通路を歩いて行けそうだったが、やっぱり怖いのでやめておいた。当初の目的は縫別トンネルへの到達でした。縫別駅跡~観渓橋間を走る農道から牧草地を通過して行けば良さそうでしたが、その辺りの情報、及び、あわよくば牧草地通過の許可をもらおうと、地元の方を探して何度も往復してみました...
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国鉄白糠線 蓮花沢橋梁

国道392号沿いにある白糠線の遺構、蓮花沢橋梁。柵が設けてあるのは、近くにある茶路小中学校の通学路だからか。プレートによると竣功は1958(昭和33)年12月。白糠線開業の昭和39年より6年前になる。刻印を見ると、こちら白糠側は『1958-7』となっているのに対して、こちら北進側の刻印は『1958-6』。北進側の橋脚が先に完成していたようだ。ちなみにこの蓮花沢橋梁、国道沿いにあるためGoogleストリートビューでもバッチリ見ること...
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国鉄白糠線 鍛高T

白糠線の遺構、鍛高T。銘版が残っている『鍛高T』と書いてある?『高』と『T』の文字がなんとなく見えるので多分間違いないだろう。牧草地の境界線なのか、金網が行く手を阻む。…そう言えば、しそ焼酎「鍛高譚(たんたかたん)」が流行ったのはいつ頃だったかな。...
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国鉄白糠線 廃線跡 - 4

作場道第2橋梁。作場道とは農道とか作業道とか生活道などを指すものらしい。今ではこんなところに道路?と思うような場所ですが、どんな使われ方をしていた道路だったのでしょうね。第13茶路川橋梁から伸びる盛土は、この作場道橋梁の周辺で崩され無くなっている。制限高のプレートがある。2.7mと言う事は、半分ほど埋もれている、のか?橋梁名プレートによると、着手が1966年8月-竣功が1966年9月。盛土に隣接していたであろうコ...
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国鉄白糠線 廃線跡 - 3

第13茶路川橋梁。白糠方面、橋を渡った向こうは密林となっている。この辺りのレールも既に撤去されているが、当時のものと思われる碍子、金属片などが確認出来る。北進方面、この先には作場道第2橋梁がある。...
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国鉄白糠線 廃線跡 - 2

国道と交差している第10茶路川橋梁。この辺まで来るともう国道からは見えなくなり、秘境感満載です。橋を渡りきった地点。この先も廃線跡は続いているようですが、この辺で引き返します。今回は無計画に、衝動的に寄ってみましたが、いつか時間をかけて歩いてみるのも楽しそうです。...
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国鉄白糠線 廃線跡 - 1
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自然に還る廃駅 白糠線上茶路駅跡

ここは国鉄白糠線が廃止となった1983年より廃駅となった、上茶路駅です。数年前まで駅舎が残されていましたが今は解体され、残っているのは廃ホームと廃線路くらいかな?ここに至る国道392号沿いは、所々に白糠線の橋脚が残っていたり、廃屋が点在していたりと、そんな風景が見られる場所です。ちなみにこの駅のある道道665号は国道392号と重複しているため、地図で見ると短く見えてビックリ。本来は長いほうの665号に用があったの...
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