これは本当にトーチカだろうか?
釧路のトーチカ
太平洋戦争末期、米軍の上陸作戦に備え道東防衛を担当していた旧日本軍第七師団が突貫工事で築いた防衛陣地。
68年以上が過ぎた今も、市内に5基、釧路管内では6基(西庶路の海岸らしい)のトーチカが残ると言われている。
日本語では特火点と言い、語源はロシア語の『点』に由来。
…というトーチカですが、どうしても納得がいかないトーチカがあります。
いや、専門家じゃないし知識もないので自信もないのですが。
※このブログは2013年に書いたものです

釧路市内の戦争遺跡を調べていると、「釧路『負の遺産』を守る会」による桜ヶ岡トーチカの新聞記事を見つけました。
2009年11月30日付『戦争の記憶風化させず』というタイトルの記事では、
・桜ケ岡のトーチカは同会が初めて公表するもの
・縦6m、横24m、高さ5mの掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる大型のもの
・釧路に駐屯していた「熊部隊」と呼ばれる第七師団所属の約150人の兵士が使用
・兵士が銃を構えていたと思われる「銃眼」はコンクリートでふさがれている
・「興津の断崖に配備した迎撃用銃座に司令を下す前線基地だったのではないか」
とのような内容で紹介されていました。
が、率直に言って、え?これトーチカとして紹介して良いの?そもそも銃眼が(見当たら)無いし、攻撃機能を備えるトーチカとは違うのでは?など、この記事を読んでみて取材した話がいろいろごちゃまぜになっている印象を持った次第であります。市民団体「釧路『負の遺産』を守る会」様がというより、この記事を書いて載せた新聞に対してですが。

で、銃眼ですが、外から見ても内部を見ても記事にあるようなコンクリートで塞がれたという銃眼は見当たりません。

新聞記事には取材した方がこの煙突オブジェの周りに立っている写真が掲載されていますが、問題はその説明欄。
「桜ヶ岡にあるトーチカの銃眼付近で調査する○○さん(左)と××さん」と記載されています。そのため、この煙突オブジェが銃眼だと思い込んでる方がおりましたが…銃眼はトーチカに開けられた射撃のための小窓です。しかもここの銃眼はコンクリートで塞がれたと書いておきながら何故でしょうか???本当にきちんと調べて書いたのか怪しい気がしますが、どうなんでしょうね。
参考:大楽毛トーチカの銃眼、ここから機関銃などで攻撃します。


換気口と思われる煙突オブジェですが、ひとつだけ中央に空いている四角い穴の『角度』が違います。カモフラージュ用途だとしても、なんでわざわざ角度を変えるのか、謎です。

何らかの理由でズレちゃっただけなのかな?

この遺構には連絡口が二箇所あり、片方の連絡口付近の壁から二本の鉄管が突き出ています。

何のためのものかは不明です。真偽は定かではありませんが、この鉄管で首○りをしたとかいう噂もあるんです。

内部はそこそこ広い空間ですが、やはり塞いだ銃眼の痕跡は見当たりませんね。

天井に通気口のような物はありますが、外部とは繋がっていないようです。埋めたのかな?建物自体はコンクリート白華が酷いので、かなり古そうなものではあります。
一般的に言う(攻撃機能を備えた)トーチカではなさそうですが、コンクリートで埋められた銃眼のある『本当の桜ヶ岡トーチカ』が、どこか別の場所に眠っている…のかも知れません…

~追記~
この遺構、今となってはGoogleマップで「旧日本軍戦跡レーダー基地跡」と記されています。
何のことか良くわかりませんが「超短波警戒機乙の受信設備跡」とのことです。
(2013年当時、こんなにわかりやすい情報は出回っておりませんでした)
また以前、当ブログにお便りいただいた方は「音別と連携した電探通信所」とおっしゃってました。
音別には尺別電探所という遺構があるようで、写真で見た感じここと似ています。
結論:攻撃機能を備える「トーチカ」というよりは、レーダーサイトということですね。
(2021/7 追記)
(2022/8 いろいろ訂正)
関連記事 : 釧路市内の戦争遺跡
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