北見(伊奈牛)鉱山 1
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しげ@ぼうけんか
北旅人 - Photolog - さん と行くオホーツク鉱山日帰り弾丸ツアー後編、
興部町の北隆鉱山から鴻之舞鉱山を素通りしてやってきました。
集落の中に設置されている看板

この『旧北見鉱山案内図』の看板によると、
昭和8年、住友による調査の結果、伊奈牛に有望な鉱床を発見
という説明になっていますが、
丸瀬布町史を参考にしたという情報によると、
大正3年、遠軽在住の安江氏が伊奈牛川口で鉱床を発見、
その後試掘と廃坑が繰り返され最終的に住友が買収、
というのがどうやら正しいようですが…実際どうなんでしょうか。
看板の写真拡大①

写真左の煙突は既に無いようです。写真右の『金山鉱山』というのは、
山ひとつ挟んだ隣の金山鉱区の発見が明治34年だということのようです。
看板の写真拡大②

今回探索した遺構はこの『選鉱場』です。
神子畑選鉱場など本州の鉱山に比べると、規模は小さいのかな?
ここで選鉱したものを、索道で鴻之舞鉱山に送っていたようです。
と、いうわけで、、、
看板の雰囲気から選鉱場の場所を探ろうとしましたが、
描かれている道が古いせいか場所を特定するのに多少苦労しました。
まあ、私はひこさんの後をついて行っているだけなのですが。
選鉱場跡

時期的に少し遅かったのか、植物の成長が今年は早いのか、
ここの鉱山跡もすっかり緑に覆われていました。


じつはここ、ひこさんの以前のブログで写真を見てから
ずっと憧れていた場所だったので、内心大喜びの見学&登山です。

何の役割の施設があったのか、知識が無いので想像しながら、
気になる遺構を中心に北見鉱山の現状を撮ってきました。

興部町の北隆鉱山から鴻之舞鉱山を素通りしてやってきました。
集落の中に設置されている看板

この『旧北見鉱山案内図』の看板によると、
昭和8年、住友による調査の結果、伊奈牛に有望な鉱床を発見
という説明になっていますが、
丸瀬布町史を参考にしたという情報によると、
大正3年、遠軽在住の安江氏が伊奈牛川口で鉱床を発見、
その後試掘と廃坑が繰り返され最終的に住友が買収、
というのがどうやら正しいようですが…実際どうなんでしょうか。
看板の写真拡大①

写真左の煙突は既に無いようです。写真右の『金山鉱山』というのは、
山ひとつ挟んだ隣の金山鉱区の発見が明治34年だということのようです。
看板の写真拡大②

今回探索した遺構はこの『選鉱場』です。
神子畑選鉱場など本州の鉱山に比べると、規模は小さいのかな?
ここで選鉱したものを、索道で鴻之舞鉱山に送っていたようです。
と、いうわけで、、、
看板の雰囲気から選鉱場の場所を探ろうとしましたが、
描かれている道が古いせいか場所を特定するのに多少苦労しました。
まあ、私はひこさんの後をついて行っているだけなのですが。
選鉱場跡

時期的に少し遅かったのか、植物の成長が今年は早いのか、
ここの鉱山跡もすっかり緑に覆われていました。


じつはここ、ひこさんの以前のブログで写真を見てから
ずっと憧れていた場所だったので、内心大喜びの見学&登山です。

何の役割の施設があったのか、知識が無いので想像しながら、
気になる遺構を中心に北見鉱山の現状を撮ってきました。

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