洞爺湖有珠山ジオパーク - 1
2 Comments
しげ@ぼうけんか
久しぶりの再開ということもあり、ちょっと日記的な書き出しをしてみる。
ブログ始めた当初はまだSNSもここまで普及しておらず、産業遺産の情報や遺構の写真などはレアだったような気がするし、遺構の位置情報だって当時は探すのに一苦労だったのに、今はGoogleMAPにも載ってるという便利な時代、ブログで発信する意味はあるのだろうか?などと書いてみたが、実はこの春から職場が変わって精神的なものから開放されたということもあって、ちょっとだけやる気が出てきたところです。とはいえここ数年、極端に出かけなくなっていたためネタは少なくまたすぐに休止するかも。
んで、
ずっと放置してたワリには2000~2500PV/月くらいはアクセスがあるようなので、情報を遺すという意味ではブログの存在意義はあるのかも知れないという気がしないでもなかったり。
ちなみに検索キーワードを抜粋してみると、、、
【検索表示上位】~「雄別炭鉱病院 手術室」「雄別炭鉱 ヒグマ」「冬窓床」「昭和炭鉱」「釧路ステーションデパート」
なぜ釧路ステーションデパートが多いのかわかりませんが、当ブログで扱ったのは封鎖された入口だけですので、検索から来た方はさぞガッカリだったのではないでしょうか。
【気になるもの】~「釧路 一家 夜逃げ の 家」「達古武 廃墟」「達古武 廃屋」「雄別炭鉱病院 霊安室」
何のことでしょう。廃屋は専門外なのになぜヒットするんでしょうか。『仄暗いお散歩』さんのブログ、廃屋、一家突然夜逃げの家 こちらが専門かと思いますw
それと、雄別病院の霊安室ですが、どこにあるのか知りませんよ。病院の図面にも出てないし。
というわけで、検索キーワードにツッコミ入れるのはこのくらいにして本題です。

【洞爺湖有珠山ジオパーク】~そもそもジオパークとは、「地球を楽しむ公園であり、地質遺産を保護し研究・教育および観光利用のための「ジオツーリズム」を通じた発展を目指すもの」であり、ここ洞爺湖有珠山ジオパークは、「2009年、ユネスコ支援の世界ジオパークネットワークに、日本で初めて認定された」(どこかのサイトから抜粋)というもの。
そんなジオパークの中に『噴火災害遺構』なんていうものもありまして、要するに遺構、建造物が遺されているんですが、公園化するにあたって当初は住民の反対もあったとかなかったとか。


順路に従って、まずは『旧とうやこ幼稚園』

2000年3月の有珠山噴火。火口から600mにあった「とうやこ幼稚園」は噴石の直撃を受け、園庭にも多数の噴石が散らばったのですが、事前に避難を完了していたため全員無事だったそうです。無事で良かった。私にも小さな子が居るもので(^^


建物内部は既にジャングルと化しています。

「むろらんようちえん」「とうやこようちえん」と書いたマイクロバス。


こんな姿の幼稚園バスを見ると、なにか切ない気持ちになります。



遺構の説明看板。躊躇なく迅速に避難出来たのは、数十年ごとに繰り返す噴火災害地域の人々に、避難の大切さというものが染み付いていたからでしょうか。

すっかりひしゃげてしまった雲梯、その向こうに散らばる噴石がたくさん見えます。こんなものが当たったら命はないでしょう。

幼稚園にはもう一台バスがあったのでしょうか。
無機質な鉱業所や選炭場やホッパーに比べ、やはり廃屋や幼稚園は見てると切なくなりますので…私の専門外ですw
というわけで、つづく。
- 関連記事
-
-
洞爺湖有珠山ジオパーク - 3 2019/06/26
-
洞爺湖有珠山ジオパーク - 2 2019/06/21
-
洞爺湖有珠山ジオパーク - 1 2019/06/16
-
スポンサーサイト