藻琴トーチカ(網走)

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しげ@ぼうけんか

北海道網走市藻琴、網走原生牧場観光センターにあるトーチカ。『浜藻琴』と同じく二階建てのトーチカで、保護するために建てた小屋の中にあるというワリと珍しいトーチカになります。内部は危険なので現在は公開されてない、とかいうウワサではありますが、果たして…




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トーチカを保護している、三角屋根がトレードマークの小屋。小屋の左に見える平べったいコンクリートは、トーチカの上部のようです。そして木の陰に見えるのは、トーチカの説明石版。




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『旧日本軍トーチカ跡』
昭和十九年(1944)アメリカ軍の上陸を想定し、網走防衛を命じられた陸軍部隊が貨車一台分のセメントを使用し、約三か月で建築した。地下二階の部屋は厚さ五十センチの壁で囲われ、知床方面のオホーツク海岸を見渡せる銃眼が造られている。

このトーチカを説明する、立派な石版が設置されています。




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トーチカ格納小屋。




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とりあえず一周してみます。

で、牧場レストランに入って内部見学をお願いしてみるとあっさり許可が出ました。




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鍵を開けてもらい、ご親切にガイドまでしてくれるとのこと。ありがたい!




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トーチカへ続く階段です。ワクワクします。




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施設の照明もつけていただきました。




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すごく良い雰囲気の地下へと潜ります。




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土が露出しています。ヒンヤリした空気。興奮で鼻血出そうw




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地下1F、コンクリートの通路を進みます。




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遂にトーチカと対面です。コンクリートの質が違いますね。白華現象の鍾乳石が80年という歳月を物語っています。




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観測窓があいています。オホーツクの海岸を向いています。




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観測窓の足元。




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続いて地下2F、通路を進みます。終わったら照明切っといてねと、ここでガイドは終了です。ありがとうございました!

ところで、

石版含めてここまで立派なものを造ったご本人だったのでしょうか?今にして思えばもっといろいろ話を聞いておくべきでした。




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浜藻琴と同じように、コンクリートの隔壁で仕切られています。




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隔壁の左側は弾薬の一時保管庫か通信室だったようです。ガイドのお話に夢中でよく見てませんが…特に何も無かったような。




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天井部には上階と繋がる伝声管があります。




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隔壁右側の部屋には銃眼があります。




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銃眼は観測窓と同じくオホーツクの海岸を狙っています。




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こちらにも伝声管がありますね。




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銃眼の足元。排水溝をまたぐように、三本のボルトが出ています。これは機関銃を固定するのに使ったもの、とのことです。それにしてもトーチカに排水溝とは珍しい。



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銃眼を外から見たかったので、内部見学を終え戻ります。




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楽しい時間をありがとう。




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こちらが銃眼部。




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銃眼の上部に観測窓があります。




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振り返るとオホーツクの海岸が見えます。


さて、明日でウクライナ軍事侵攻から1年となる日です。かつてソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して南樺太に侵攻を開始したのは、終戦の詔書4日前、1945年8月11日でした。その後占守島、得撫島、最終的には北方四島まで占領され、翌年、自国領に編入してしまいます。当時のスターリンは北海道占領を目論んでいたようで、それを阻んだのが南樺太や占守島で徹底抗戦した多くの日本兵の方々ですが、北海道に点在するトーチカなど防衛陣地の存在も一役買ったと言われています。


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